私は常日頃から、希死念慮にメンタルを侵されているタイプの人間なのだが、その原因のおおよそ大半を占めるもの、それが『焦り』である事に、ふと気付いた。
金銭的な不足に対する『焦り』。
将来的な不安に対する『焦り』。
己の社会的基盤の脆弱さに対する、どうにかしなきゃとの『焦り』。
その他エトセトラエトセトラ……挙げて行けばキリがない無限に湧き出る焦り。
実家なり親戚なりが盤石で、いざとなれば頼れる。
パートナーに恵まれて、いざとなれば家計を負担して貰える。
そういったいざと言う時の『寄る辺』があれば、己の身ひとつで孤軍奮闘せずとも良い。
いわゆる『後ろ盾』があれば、安心して生きていけるのかもしれない。
もちろん、私は全くの孤軍奮闘ではない。
兄弟が大変な温情をかけて、金銭的不足を補ってくれてもいる。
国の福祉にも助けられて、必死こいて今日を生き延びている。
まったくのゼロベースのひとに比べたら、全然、ありがたい環境にある。
けれども、生来の人間不信が「いつかそれらが切られたら?」をつきつける。
そもそも上記の援助たちからしたら、いつでもそれを打ち切ることが出来るのだ。
そういう足場が不安定な状況下で生活している事は事実で。
『後ろ盾』すらも信用出来ない己にとっては、我が身ひとつで戦えない戦場は、本当に怖くて辛い。
右往左往、ひたすら襲い来る刃から逃げ惑う。
そんな状況がかれこれ人生の半分以上、続いている。
ちょっともう、右往左往するのに疲れた。いっそ殺してくれたらラクになれる。
これが、いわゆる私の希死念慮の内訳かもしれない。
一人で生き長らえる戦闘力を、身につけねば。
そうやって焦ってはいるのだ。
それには、武器も仲間も足りない。
そうか、一人で立ち上がって戦えるようになるのには、仲間もそもそもの武器も、持ってなければ経験値すら手に入らないのだ。
よく言う「自己肯定感」だとか、「親の愛情」だとか、そういうのはこういう時に必要となってくるのか。
参った。グダグダの武器しか手持ちにないのに、この戦場、戦えるのか?
……。
…………。
これ、もしかして焦っても仕方ないのではないか。
戦うと言うより、目の前に現れた敵の攻撃を、「なるようになれーーー!」ってしてたら、生き延びてるかもしれない。
貯金MAXで生きてたって、突然交通事故で死ぬ可能性だってあるのに。
ノー保証、ノー武器だってなんとか生き延びちゃうかもしれない。
もしかして、先に先に不安を抱えるよりは、いっそ目の前に集中する、それしかないのかもしれない。
そうだ、私は『焦って』いたのか。
焦って、目の前のことにも手が付かなくて、余計に上手くいかなくて。
弱々でグダグダの武器しかないけれど、目の前を一所懸命、徒手空拳、戦うしかない。
先が見えない、未来なんてどうなるか分からない世の中。
そうやって生きるしか手がないのだ。
「焦らず、ゆっくりやれば良い。」
なんて甘言は、現実的ではない。
でも、焦って慌てふためいて、何ひとつ出来ずにいるなら、腰を据えて目の前を片付けて行くほかないのではないだろうか。
一歩いっぽ、堅実にやるしかないのだ、結局。



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