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生き方

堅実な希死念慮の落ち着かせ方〜暴れまわる己をあやせ〜

生き方

最近の記事が、希死念慮関連に特化しているのは、ここのところ私の病状が酷くなったからだ。
いわゆる『躁鬱』。



「双極症」といまは呼ばれているらしいが、ウルトラ躁!High!みたいなハイテンション加速状態と、希死念慮で鬱々と起き上がれもしない状態。

そして、起き上がれもしないのに、気持ちは焦りで奔り出して止まらない「混合状態」。
それらが、別に決まったペースも順序もなく襲い来て、日々起きてみないと今日の私はどんな状態かもわからない。


そんな状態が半年以上続いており、もういい加減しんどい。
ある意味、備忘録のようなものだ。
最早、自分に対する、混乱状態に陥った時に見るためのメモのようなものである。



双極症の症状のなかでも、特に希死念慮が非常に強く、常に「死にたい。」という感情に支配されている。
その「死にたい。」と思うのにはいくつか理由があるように思う。
ひとつは、混合状態による
「焦りがあって、今すぐあれもこれもしなきゃと心が急く。でも身体は鉛のように動けない。」
という時。


以前にも焦りと希死念慮については、記事にしたことがある。


特にこの時は、転職活動をしようとする傾向にあって

「今より稼がなければ、良い仕事を探さねば。」

と、転職活動やいわゆるクラウドソーシングサイトの更新活動、応募活動を衝動的に始めてしまうのである。


酷い時には、己の体調も考えずに先2ヶ月分の依頼を受けてしまって、最後の方は締め切りもギリギリに、精神も滅茶苦茶な状態で提出した事もある。
このように、焦りと衝動性で先の計画も無く奔り出しては、後々どうにもならなくなる事を、幾度とやらかしてきた。




あとは、焦り以外に考えられるのは

「私がいま、何かをやったところで、何にもなれない。無力。」

という、己の無力さに対する絶望感。

別に、たいそれた結果が生まれずとも、やった分だけ何かは確実に進んでいると、脳味噌がハッキリしている時は思えるのだけれど、鬱々とした頭だと

「己の存在自体が無意味。なぜ生きているんだろう。」

となる。
何も成果を生まない自分の存在に、OKを出せないのだ。



何かを成さなければ。
何も成せないなら、自分は生きている価値もない。
生かされているからには、成果を生まなければ。

そういう焦りが、私の希死念慮を加速させている。


ハタから見たら、「You、ちょっと休んでなよ。」ってくらい、支離滅裂なんだけれど、本人は必死なんだよなぁ。



そんで、調子良いと思ったあとは、絶対に鬱転するんだから。
ステイステイ、ちょっと落ち着け。
ちょっと口数が多くて、早口になってたら、確実に躁入ってるから。
ネットへの書き込みや、更新が増えるのも躁っぽさあるね。



まずは深呼吸しよう。
心の中で暴れまわる『何か』を鎖で落ち着けて。
唱えよう。


『焦っても仕方ない。』
『待ちの姿勢も時には必要かもしれない。』
『目の前の必要な事に集中。』


本当に堅実に一歩ずつ、それが大事。

ひとつずつをこなす、それを大事に今日も生きるしかない。

そう己に言い聞かせて生きて行くのである。

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